MDRTの歴史
MDRTは1927年(昭和2年) 、全米生命保険外務員協会(NALU) の副会長であったポール・クラーク氏が、年間成績が百万ドル以上の人約50人に手紙で呼びかけ、テネシー州メンフィスのホテルに集まったのが始まりです。
呼びかけに応じて集まったのは32名。
その32名がホテルの会議場の円卓を囲んで議論したのが「MDRT(Million Dollar Round Table)の始まりであり、名前の由来です。
クラーク氏は、生命保険業界を良くするには、リーダーである自分たちが行動を起こすべきだと説得しました。会議場では、この会議に呼ばれなかった外務員が抗議したとも伝えられています。
それでもクラーク氏は、「雑音に惑わされることなく、外務員としての最高を求めたい」と語り、ここにMDRTが誕生。翌1928年のデトロイトで行われたNALU年次総会から公式に活動を開始しました。
日本での歩み
日本からは1931年(昭和6年) に3名がMDRT会員に登録されたのが最初です。設立からわずか4年後、世界で168 人しかいなかった時代でした。
それから31年、1962年(昭和37年) 以来「保険セールスの神様」と言われた故・原一平氏の働きかけで、日本での活動が活発になっていき、1970 年(昭和45年) に、MDRT日本会が17名の会員によって発足しました。
この時世界では6,675 人の会員がいました。
日本会が世界に羽ばたくきっかけとなったのは、1985年に米国本部からMDRTの全役員が来日してからでした。 会員数の増加は世界各国から注 目を集めると同時に、日本の会員に対する期待も大きく、アジアのリーダーとしての責任は益々大きくなっています。